気まぐれpekepeke野球日記

プロ野球・パワプロ等についてつれづれなるままに語る。再現は低クオリティがウリ。

2020-2021作成選手一覧

中日ドラゴンズ

~投手~

平田洋投手(1994)

与田剛投手(1994)

山田喜久夫投手(1994)

野中徹博投手(1994)

小松辰雄投手(1994)

遠藤政隆投手(1994)

北野勝則投手(1994)

鹿島忠投手(1994)

 

~捕手~

矢野輝弘選手(1994)

松井隆昌選手(1994)

 

 

内野手

種田仁選手(1994)

仁村徹選手(1994)

鳥越裕介選手(1994)

小森哲也選手(1994)


~外野手~

佐野心選手(1994)

彦野利勝選手(1994)

山﨑武司選手(1994)

清水雅治選手(1994)

神山一義選手(1994)

松井達徳選手(1994)

井上一樹選手(1994)

 

 

 

吉鶴憲治選手(1994・中日)

移籍後に活躍を見せた打撃型捕手

 

92年ドラフト4位でトヨタ自動車から入団。

しかし,中村・矢野両捕手の壁は高く,94年は捕手としての出場が0であった。

 

4年目の1996年シーズン途中にロッテとの間で2対2のトレードが成立(与田・吉鶴⇔内藤・森)し,千葉ロッテマリーンズに移籍する。

96年オフ,定詰・田村の退団や山中の引退と捕手の退団が重なったこともあり,ルーキーの清水将海と正捕手争いを繰り広げることに。打線が弱かったことも重なり,打撃型捕手である吉鶴が1番手捕手となった。(この年,自己最多の98試合に出場。)

 

その後,2002年に現役引退。

現在は,福岡ソフトバンクホークス1軍バッテリーコーチとして常勝軍団を支えている。

 

94年成績 4試 .333(3-1) 0本 0点 

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吉鶴さん作るときだけ毎回背ネーム反映されないの何事よ、マジで。

 

鳥越裕介選手(1994・中日)

鳥越不敗神話の序章

 

93年,中日ドラゴンズを逆指名しドラフト2位で入団。

189センチという体格で,長打の打てる大型内野手として期待された。

94年はルーキーながら30試合に出場。10.8決戦では負傷退場となった立浪さんに変わり,ショートの守備についた。

 

97年には守備率.997という遊撃手の日本記録を樹立。

しかし,その後いろいろあって出場機会を減らし,99年途中に福岡ダイエーホークスとのトレード(鳥越⇔河野)で移籍。

 

移籍後は守備は勿論のこと,打点をあげた試合は無敗という”鳥越神話”を作り出すなど打撃面でも大きく貢献した。

 

現在は,千葉ロッテマリーンズの2軍監督を務める。

ちなみに,トレード相手だった河野さんもロッテでコーチを務めている。

 

94年成績 30試 .224(67-15) 0本 3点

 

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2020-2021作成選手一覧

中日ドラゴンズ

~投手~

平田洋投手(1994)

与田剛投手(1994)

山田喜久夫投手(1994)

野中徹博投手(1994)

小松辰雄投手(1994)

遠藤政隆投手(1994)

北野勝則投手(1994)

鹿島忠投手(1994)

 

~捕手~

矢野輝弘選手(1994)

松井隆昌選手(1994)

 

 

内野手

種田仁選手(1994)

仁村徹選手(1994)

鳥越裕介選手(1994)

小森哲也選手(1994)


~外野手~

佐野心選手(1994)

彦野利勝選手(1994)

山﨑武司選手(1994)

清水雅治選手(1994)

神山一義選手(1994)

松井達徳選手(1994)

井上一樹選手(1994)

 

 

 

山﨑武司選手(1994・中日)

代打で結果を残した”ジャイアン

 

86年打てる大型捕手として愛工大名電から86年ドラフト2位でドラゴンズに入団。

しかし,捕手はクビとなり,以前から希望していた外野・一塁(当時は主に外野で出場)へ転向。二軍では圧倒的な結果を残し,彦野選手ら主力の怪我人が出た時に一軍に呼ばれることが多くなった。

94年は彦野選手の復帰などが絡みあまり出場機会は多くなかったものの,代打での活躍,勝負強い打撃を見せ存在感を残した。

 

 

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 ※当時の登録名は山”崎”であったため,ここでは山”崎”としてあります。

 

翌年から出場機会を増やし,1996年にはベストナインも獲得。その後セ・パ両リーグで本塁打王を取るなど活躍を見せ2013年に現役引退。現在は解説業やモータースポーツでご活躍なさっております。

矢野輝弘捕手(1994・中日)

若竜時代の矢野ガッツ

 

1990年のドラフト2位で東北福祉大学から中日ドラゴンズに入団。

思いっきりの良いバッティングと俊足・強肩を武器に定位置確保を狙うも、中村武志捕手という大きな壁が立ちはだかっていた。1992年は72試合に出場するも、その後は出番が減少。バッティングを活かすため96~97年シーズンは外野手での起用が増えた。

 

94年は捕手のみの出場。1本ホームランも放っている。

 

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現在は阪神タイガースの1軍監督を務めており、就任後2年連続でチームをAクラスに導いている。

東海テレビ公式Youtubeのコーナー,山本昌と山﨑武司のプロ野球やまやま話で矢野監督が選手時代,見事に最初から最後まで音程を外して長渕剛巡恋歌を歌ったというエピソードトークをしていたということから,お歌の方はあまり上手ではないようです。

 

 

種田仁選手(1994・中日)

ガニ股じゃなかった頃

 

89年ドラフト6位で上宮高校から中日ドラゴンズに入団。背番号0を与えられるなど期待値は高かった。そして92年には2代目ミスタードラゴンズ高木守道監督から背番号1を与えられた。

2年目から出場機会を増やし,93年には全試合に出場し,初の規定打席到達。

 

しかし,94年はケガと不調が重なり,神野純一選手,鳥越裕介選手,山本保司選手,酒井忠晴選手に遊撃の座を譲ることが多くなった。なお,10.8決戦では出場機会はなかった。1試合2安打を5回,猛打賞以上1回を記録するも調子の浮き沈みが激しく,打率も低迷した。

 

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パワナンバー 10800 81304 26536

 

 

 

 

 

仁村徹選手(1994・中日)

アンダースローの熱血キャプテン

 

83年のドラフト2位で東洋大からアンダースロー投手として入団。1年目にはプロ初登板・初勝利も達成している。86年に内野手に転向。星野政権下でレギュラーに定着し、主将も任された。その後怪我との闘いが多くなったが,小技の上手さと卓越した流し打ち技術で定位置を確保し続けた。

再び主将として挑んだ94年シーズンは10.8決戦に繋がるサヨナラ打を放つなどここ1番の活躍でチームを引っ張り続けた。10.8決戦ではライト前ヒットを放っている。

引退後の2軍監督時代には武闘派熱血監督であることから「1軍に星野監督がいるが,2軍にも星野監督がいる」と選手に言われていた。当時から指導力は非常に高く”アライバ”を育て上げたことでも有名。現在は選手に手を上げることも怒鳴り散らすこともないらしい。また,現代野球に合った理論的指導を展開していることからファンからの信頼も厚い。果たして今春,石川昂弥選手の運命や如何に…

 

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パワナンバー 10000 61323 96616